にっぽんを残そう ものづくり研究所
主な事業
心にしみる日本の原風景・文化を残します。

イメージ 四季折々に表情を変える日本の自然・懐かしい原風景は人々に安らぎと感動を与えてきました。茅葺屋根の民家、夕陽に染まった放課後の木造校舎、里山を走り抜けるローカル線…。人々の記憶の中に生きている美しい自然や原風景、地方で育まれた文化もまた失われつつあります。「にっぽんを残そう」プロジェクトでは、カタログ「夢みつけ隊」を中心に、心にしみる懐かしい日本も守っていくお手伝いをします。


活動事例のご紹介

鉄道博物館 堂々オープン!甦るあの日 懐かしいあの時…

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大迫力!35両の実物車両があの「転車台」を囲む
 「1等のお客様はそのまま、2等の方は降りてください。3等は降りて押してください」
 登り坂にさしかかった時のそんな車内放送が聞こえてきそうな、明治時代の北海道を駆け抜けた開拓使号車。それを牽引する弁慶号、まるで西部劇から抜け出してきたようなアメリカンスタイルの古典的な列車が、新橋−横浜間を走った日本初の1号機関車とともに「ヒストリーゾーン」入り口に展示され、入館者を出迎えてくれる。
 さらにおくに進むと、幅45m、長さ150mの巨大な吹き抜けマンモスホールの中央に、鉄道ファンならずとも胸躍る「転車台」が再現されr、C57形式蒸気機関車を囲んで、次代ごとにエポックメーキングとなった35両の多様な実物車両が放射状に大集合。屋内に転車台を設けた大規模な展示施設は世界的にも珍しく、ずらりと並んだ本物を吹き抜けの2階から見渡すと壮観だ。
 「交通博物館に展示されていた実物車両は8両でしたが、鉄道博物館は36両(うち1両「キハ11形式気動車」は動態保存の為屋外の別スペースに展示)と大幅に増えています。一部を除き中に入ってシートに座ったり、触ったりすることもできます。(鉄道博物館営業部・五島剛課長)
 館内には、この実物車両展示などによって鉄道の歴史が目で見て体験してわかる「ヒストリゾーン」をメインに、子供たちが疑似体験しながら鉄道の仕組みを学ぶ「ラーニングゾーン」も設けられ、大人も子供も楽しむことができる。
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北海道開拓に活躍した7100形式/弁慶号。1880年、アメリカ製

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開拓使号/客車。1880年、アメリカ製。洋式トイレやストーブまで完備。

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御料車。修理は宮大工によるもの。内装は漆塗りで、保存の為ガラスケースで温度管理。

イメージ新橋−横浜間を走った日本初の1号蒸気機関車。150形式。1871年、イギリス製
 
夢と希望を載せた特急「とき」「ひばり」別れと出会い。涙と絵外の思い出が…  

かつての高度成長期、北の故郷を離れ、遠くの街へ旅立ったことのある人々の胸に迫るのが特急「とき」と「ひばり」だ。特に「とき」は、昭和37(1962)年、長岡−新潟間の電化に伴い、上野−新潟間を4時間40分で結ぶ上越線初の特急列車として華々しくデビュー。今でこそ上越新幹線で1時間30分ほどだが、まだディーゼル車が一般的だった中、驚異的なスピードで新潟とのパイプ役を果たし、多くの人を乗せて往復した。
  食堂車を連結した堂々たる編成は、まさに夢の特急列車で、受験、進学、就職などで上京する人たちの出会いや別れの舞台となり、数々の人間ドラマを見守った。
  「特急ときには新潟駅プラットフォーム、東北本線を走った特急ひばりには当時の上野駅プラットフォームを再現して併設。乗客や制服姿の職員を模した人形を配置して懐かしく、臨場感あふれる展示になってします。」(五島剛課長)

  このほか、実物車両を下から見ることもできるような展示設計になっていて、動力や車輪の構造なども細かく観察できる。車両全体と細部の両方を見ることができる新たな試みだ。また、車両基地を俯瞰できる2階には、長さ75mにも及ぶ日本鉄道史を綴った年表が展示され、時代ごとの世相なども盛り込み、わかりやすく解説。年表の下には、初期の双頭レールやプレートなどの資料展示のほか、Oゲージの鉄道模型も走る。
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特急「ひばり」(クハ481)。一見したところ「とき」と同じようだが、ネームプレート上の赤ラインがひげのようになっているところなどデザインが少し異なる。そばに職員や子供の黒人形も。

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再現された総和40年代のプラットフォーム。


特急「とき」(クハ181)は新潟駅プラットフォームに停車。
 
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