【特派員レポートVol11】「朝日酒造」訪問記
私は新潟県生まれでありながら、お酒はまったくの下戸。
それでも新潟県が誇る銘酒「久保田」は、サッパリして呑みやすく口に合います。
今回は、かねてより訪ねたかった久保田の蔵元「朝日酒造」の訪問記です。
「朝日酒造」は新潟県の来迎寺町にあり、信越線来迎寺駅から歩いて15分ほど。
地元では今もなお昔の屋号「朝日山」で通っています。
酒蔵見学は基本的に、酒関連の団体が特別許可を得ないとできません。
そのため今回は工場前にある、昔の民家風の酒蔵を利用した「米と酒の道具館」にお邪魔することに。一階は蔵人の酒造り唄が流れる朝日酒造の売店で、二階に上ると朝日酒造の歴史を語るラベルを初め、大徳利や酒器セットなど、さまざまな酒の道具が所狭しと並んでいました。
目をひいたのは、一斗瓶と書かれた大きな日本酒の瓶。一升瓶の横綱といったところでしょうか。昔の大宴会では一斗瓶が席に並んでいたのだそう。一升瓶の10本分の量ですから、とんでもない量です。
今では「しずく酒大吟醸斗瓶囲い」と称する製法の大吟醸を見ることができます。(この製法では、大吟醸の最も美味しい原酒だけを木綿の大袋に入れて吊るし、自然にしたたり落ちるしずく酒をポットンポットンと一斗瓶に詰めていくもの。さらに約9ヶ月間蔵の中で低温でゆっくり眠らせてから、初めて世に出すという極めつけの逸品)
朝日酒造の歴史は、天保元年(1830年)の創業に始まります。
木曾義仲の家来が、亡き主の異名である「朝日将軍」にちなんで、この土地を朝日と命名。酒造の裏山には「朝日神社」が祀られ、この山を「朝日山」と呼んでおり、屋号はここから取られました。仕込み水には、神社の境内に湧く「宝水」を用いています。
通でなくてもその名が知られる銘酒「久保田」を初めて世に送り出したのは昭和60年。商標の「久保田」とは、創業時の初代の屋号からいただいた名前で、「初心に立ち返る決意」を表したものだそう。
その朝日酒造も、平成16年10月23日に起きた中越大地震では大きな被害を受けました。ここは震源地の山古志からわずか10キロしかはなれておらず、出荷待ちの「久保田」「越州」「朝日山」など山積みの酒瓶約1万5千本以上が一瞬にして割れて床に散乱。貯蔵タンクも土台がはずれてほぼ全滅の状態と、1年で最も需要の大きい時期に、創業以来の大危機を迎えてしまったのです。
それでも問題のない商品も一部にありました。しかし、「お客様への信頼を大切にしたい思い」ですべてを廃棄処分する決断にいたったのです。「ここは力を合わせて乗り切らねばならない」と従業員が一丸となって復旧作業に取り組みました。その甲斐あって、当初の計画より一週間も早く一部出荷が出来る体制となり、11月10日にはトラック18台分の商品の全国発送を実現。12月にはほぼ正常に戻すことができたそうです。
見学後は、お隣にある「そば処越州」で、地元産の美味しい手打ち蕎麦をいただきました。震災時の被害は倉庫に限らず、この「米と酒の道具館」も大変な被害を受けたはず。
現在では何も無かったかのように整然と展示され、当たり前のようにお店があっても、「朝日酒造」の皆様方の苦労と努力は並々ならぬものだったでは…蕎麦をいただきながら、ふと考えさせられました。
ものづくり研究所 主任研究員 荒木隆一
No comments yet.