静岡本山茶 蔵出しの儀、口切の儀  後編

そもそもお茶壷道中行列の由来とは。大御所として駿府城に住んだ徳川家康公が、駿府城内で開く茶会のために上質のお茶をお茶壺に詰めて、標高約1200メートルの井川大日峠で保管させた後、茶壷は籠に乗せられ駿府城に納めさせたといわれ、その故事をイベント化したものです。

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二日目。まず出発式から始まります。またまたお茶姫三人衆の登場です。午前中に出発してから、市内の繁華街をねり歩き、一行は久能山東照宮を目指していきます。行列の人数は100人近くとなり、結構な大所帯に。二日目になると、大人たちが中心です。

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籠に載せられた立派な茶壷。かなり重いようで、担いでいた地元の高校生たちは大変そうでした。

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浅間(せんげん)神社、金座町を通過していきます。浅間神社は、家康公が元服を行った由緒ある神社で、以後徳川幕府の厚い尊崇を受けるようになりました。文化元年(1804年)からの60年余りにも及ぶ大造営も行われ、当時の宮大工がいまの静岡のものづくりの源流になっているといわれています。

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途中、みこし祭りに合流。本山茶のPRが行われました。 

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再び一行は行列をなし、駿府公園へ。家康公の像の前に献上します。

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そろそろお茶姫さまたちもお疲れモードになってきました。

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いよいよ久能山東照宮です。本殿は普段は非公開。この儀式のために公開されました。「口切りの儀」は粛々とした雰囲気の中で行われ、煎茶道家元・横山大山氏によって茶壷が開封されました。

本山茶はいまもなお、徳川家総本家に献上されている由緒あるものです。しかしながら、観光資源になっていないのは実にもったいないことでもあります。歴史的な伝統行事を生かしながら、静岡のお茶事業の活性化を図るべきとものづくり研究所では考えます。

Filed under: 2009年度 — nakahashi 16:08  Comments (0)

静岡本山茶 蔵出しの儀、口切の儀  前編

主催:駿府本山お茶まつり委員会
場所:井川大日峠、久能山東照宮

5月に行った「茶詰めの儀」から約5ヵ月後、「蔵出しの儀」、「口切の儀」が2日間にわたって行われました。

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茶詰めの儀にて茶壷に収められた本山茶は夏の間、標高1000mにもなる井川のお茶蔵にて保管・熟成されていました。山のお茶は貯蔵しておくことで香り、味がより深まると言われています。その茶壷を蔵から出すのが「蔵出しの儀」となります。
しきたりにならい、神主さんが道中の安全を祈ります。
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前回に続き、またしてもお茶姫の登場です。

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家康が建てたというお茶壷屋敷跡。御用のお茶が貯蔵され、以後歴代将軍用のお茶は毎年ここで貯蔵され、献上されたそうです。
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そして取り出された茶壷は籠に載せられ、お茶奉行や腰元に扮した人たちによる「お茶壷道中行列」によって2日かけて駿府城まで運ばれていきます。
初日は地元の小・中学生たちが主なメンバーです。井川本村まで歩き、そこでテープカットが行われました。その他、地元中学生によって神楽などが披露されました。

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昼食は大西屋にて。ここの女将さんは、静岡ではじめてソムリエを取得したそうです。地元の食材を生かしたフレンチを楽しみました。

昼食後、さらに3時間かけて一行は末広中学校まで行列しました。

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農商工連携フォーラム

主催:神奈川県中小企業団体中央会
場所:ひらつかアリーナ

平塚テクノフェアーにて地域経済の基盤となる農林漁業者と中小企業を対象にしたフォーラムが開催されました。ものづくり研究所は、「もの作りと農商工連携の可能性を探る」をテーマにしたパネルディスカッションにおいて、コーディネーターとして参加。パネリストには、㈱フリーデンの八日市屋氏、㈱イ・エム・テクノの遠藤氏、サンクトガーデン(有)の岩本氏、東海大学理事の内田氏の参加がありました。また基調講演では、「宮古島もずくを用いた半生タイプの商品開発と販売」を事業内容として、国の施策である農商工連携の事業認定を受けた藤枝市の西光エンジニアリング㈱の岡村社長に事業認定までの苦労話をしていただきました。

Filed under: 2009年度 — nakahashi 14:38