【特派員レポートVol.1】美味しい「佐世保バ-ガ-」による佐世保の町起こし。

その歴史の始まりは、マクドナルドの日本上陸より20年も古い昭和26年。
ご当地B級グルメの元祖といわれ、最近では東京・大阪にもショップが進出と話題を呼んでいる「佐世保バーガー」とは一体ナニモノであるのか?

早速、六本木のショップへ現地調査してまいりました。

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注文してから数分後、運ばれてきた「佐世保バ-ガ-」を見て驚いたこと。
ホカホカの焼きたての部厚いハンバ-グや目玉焼き、シャキシャキのレタスに特製のマヨネ-ズなどがはみださんばかりに乗っている。

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その美味しかったこと。
「これはもう、佐世保のレストランで食べる一品料理のハンバ-グの味だ!」

佐世保の街から飛び出し、東京に進出するまでどんな道のりがあったのだろう。
そんな思いから再び調査を開始。これまでの歩みを紹介します。

長崎県の佐世保は戦後「軍港と基地」として新たな出発をしました。
街ではレストランがアメリカの海兵隊さんを相手に、アメリカから伝わったハンバ-ガ-をメニュ-の一つとして出していました。
次第にそれは佐世保流にアレンジされ、佐世保の味として育つとともに地元のおじさん達も、夕方一杯呑んだ後の〆として、レストランに寄っては「佐世保バ-ガ-」をパクつく。そんな習慣が長く続いてきたといいます。

これに地元の識者たちは、佐世保を観光地として全国にPR手段として「佐世保バ-ガ-」に注目しました。
戦後間もない昭和20年代。「軍港と基地の街」だけでは戦争という暗いイメージを拭えない。そこを「アメリカの兵隊さんが多い街」→「だから美味しい佐世保バ-ガ-がある」という発想を転換し、観光の大きな目玉に育てる取り組みが始まったのです。

観光客に向けた「佐世保バ-ガ-」のお店のマップの製作、「アンパンマン」で有名なやなせたかしさんによるキャラクタ-づくり、
「佐世保バ-ガ-認定ショップ」制度など、さまざまな試みがなされました。

現在、佐世保に認定ショップが約20店舗、首都圏にも「佐世保バ-ガ-」ショップがあちこちに出店と、成功した町おこしの事例といえるでしょう。

最近では、「富士宮の焼きそば」「浜松の餃子」がずいぶんと知名度を上げたように、ご当地B級グルメが元気な様子。各地でもコンテストなど地域をあげて新たな名物の発掘に力を入れるなど、今後が楽しみなジャンルです。

私もいずれ佐世保の町を旅して、ご当地の「佐世保バ-ガ-」を食べて見るのを楽しみにしています。

ものづくり研究所 特派員 荒木隆一

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旧東海道宿場巡り  前編

静岡の食のブランドとなりうる商品の発掘するために、静岡市内の旧東海道を巡りました。府中以外の旧東海道五宿場を巡りながら、スイーツや海の幸、観光施設のおみやげを食して現地調査を行い、発掘を試みました。実際に訪ねることで雑誌にはない深い情報を得ることができました。

さて東海道五十三次について解説をしましょう。江戸時代に整備された五街道のうちの一つであり、江戸(日本橋)から京都(三条大橋)を結んだ53の宿場をいいます。安藤広重の浮世絵に代表されるように、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、和歌や俳句の題材にもしばしば取り上げられてきました。

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東海道をさらに分解すると、静岡県内には伊豆国(三島宿)、駿河国(沼津宿、原宿、吉原宿、蒲原(かんばら)宿、由比宿、興津(おきつ)宿、江尻宿、府中宿、鞠子(まりこ)宿、岡部宿、藤枝宿、島田宿)、遠江国(金谷宿、日坂(にっさか)宿、掛川宿、袋井宿、見付宿、浜松宿、舞坂宿、新居宿、白須賀宿)があり、今回はその中の静岡市を通る蒲原~鞠子を訪ねたものです。

 では前編では蒲原から由比までを紹介します。

【蒲原】旅籠和泉屋~旧五十嵐歯科医院~志田邸(醤油・味噌屋)をめぐりました。江戸の宿場には見附や木戸を設けて入口としていますが、蒲原には今もなお当時の町割と木戸を見ることができます。特になまこ壁の白と黒のコントラストは装飾的で、江戸の雰囲気を漂わせていました。

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志田邸:国登録文化財 屋号を「やま六」とし、醤油・味噌醸造を営む商家。安政の大地震後、安政2年(1855年)に建て直しされました。切妻造平入瓦葺で蔀戸(しとみど)のある町屋です。中には案内係のおばちゃんが2,3人いて親切に建物のことや暮らしぶりなどを説明してくれました。お土産品はいくつかありましたが、もうちょっと…でした。ただ文化財をこのような形で活用することは街づくりや建造物の維持・保存のためにはとても大切なことだと思います。

吉田家:屋号を「僊菓堂」とし、和菓子を作る商家。なまこ壁の「塗り家造り」で内部は柱がなく広々とした店の間が商家らしい雰囲気。

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【由比】桝形跡(東)~お七里飛脚の役所跡~由比本陣公園~正雪紺屋~脇本陣~明治の郵便局~桝形跡(西)をめぐりました。安藤広重の浮世絵の題材となったように、由比は一帯が絵になる風景。

東本陣:通常の本陣とは異なり、街道に家屋を直面させず、石垣と木壁が作られています。敷地内には物見塔、本陣井戸が残り、現在は東海道広重美術館、御幸亭、由比宿交流館などが併設される由比本陣公園となっています。

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 s-p1020778 コチラは本陣前の池の亀です。後編に続く。

Filed under: 2008年度 — nakahashi 18:12  Comments (0)

旧東海道宿場巡り  後編

いよいよ旧東海道宿場巡りの後編です。昼食は由比の開花亭にて食事をしました。

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こちらは桜えびの漁師料理で有名な沖上がり鍋。夜漁師たちが桜えび漁を終え、家に帰ってきてからご飯のおかずに食べるものなんだそうです。えびの旨みがだしとなり、豆腐にも桜えびの旨みが染み込んでいました。お酒のおつまみにもご飯にかけても楽しめる味です。昼食後、小池邸~あかりの博物館(大正8年の建築)~望嶽亭藤屋を訪ねました。

 【興津】清見寺(奈良時代建立、五百羅漢、家康接木の臥龍梅、朝鮮通信使一行が何度も立ち寄った寺)~坐魚荘~井上馨旧邸跡(静岡市埋蔵文化センター)

興津は1300年前から関が設けられ、その立地が政府にとって重要な場所として位置づけられていました。明治時代になると財政各界の著名人の別荘地としても脚光を浴びた場所です。興津には鯛が有名で家康がここの地域を好んで食べたことで鯛が有名です。

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清見寺:約1300年前、東北の蝦夷に備えた関所として清見関が設けられ、その関所の鎮護として仏堂が建立されたのがお寺の創建と伝えられています。徳川家康が幼年時代に教育を受けた「手習いの間」、家康公が接木したと言われる「臥龍梅」ほか、梵鐘、山門、紙本墨画達磨像など数多くの文化財があります。また、このお寺には朝鮮通信史や琉球使節が訪れるなど異文化交流の窓口でもありました。後に三葉葵の紋を許され、徳川家の帰依を受けていました。

 【江尻】船宿末廣~甲州廻米置き場跡~梅陰禅寺(次郎長の菩提寺)~次郎長生家他、 江浄寺(家康長男の菩提寺、恋塚)、フェルケール博物館

江戸へ物資を運ぶ重要な港として活気溢れ、いまなお静岡県の重要港湾である清水港を支えるのが江尻です。 

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昔ながらの魚屋さんです。ここで興津の鯛の話をいただきました。

【丸子】丁子屋~駿府匠宿(竹細工、指物等伝統工芸品展示)~吐月峰柴屋寺

宿場には本陣や問屋場は残っていないものの、自然の風景や旅の雰囲気を楽しめます。また昔からたくさんの自然薯がとれ、江戸時代の鞠子宿には十数軒のとろろ汁屋が並んでいたといいます。安藤広重の浮世絵に描かれたモデルとされる「丁子屋」では、400年たった今でもおいしいとろろ汁をいただくことができます。

 【宇津ノ屋峠】宇津ノ谷集落~お羽織屋(石川家)~慶龍寺(十団子)~弥勒橋(石部屋前)

宿場ではありませんが、丸子から続く道をたどり宇津ノ屋峠を訪ねました。もとは7世紀頃からの道であるといわれる「蔦の細道」を秀吉公が小田原攻めのために大軍が進行できるよう1590年に道を整備したもの。後に家康公が東海道としました。 

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お羽織屋:秀吉が小田原攻めの際、馬のわらじを取り替えるために寄った茶屋。当時の主人が縁起の悪い「4」という数字を避けてわらじを3足分だけ渡し勝利を祈願しました。見事勝利を挙げた秀吉は主人の忠誠をほめて羽織を与えたことに由来しています。のちの家康も訪れて茶碗を贈り、縁起の良い茶屋として参勤交代の大名なども立ち寄っていました。その当時の秀吉の羽織が今も残っていて語り部のお婆ちゃんが説明してくれましたが、かなりぼろぼろなうえ、みんなゲンをかつごうと触ったらしく手垢もつき放題。文化財になっていないので致し方ありませんが、ちょっと考え物でした。

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 十団子:近所の宇津ノ谷の集落の軒先ごとに見られる白く小さな数珠の束。これは魔よけとして古くから作られる「十団子」です。10粒一組の輪を9つ束ね、「九十九の難を除ける」の意味が込められているといわれます。

 静岡市には6つの宿場が存在しています。府中を除いてひととおり回った感想としては、その当時の建造物などが今に伝わっていたり、江戸時代の宿場町としての賑わいを感じさせる町並みや徳川とかかわりのある食などが多くの発見がありました。東名高速道路や東海道新幹線そして静岡空港といった便利な交通網がある中で、昔ながらの街道は大切な地域資源として活用できると思います。静岡東海道ブランドなど地域同士の連携で新たな商品開発ができると感じました。

Filed under: 2008年度 — nakahashi 15:34  Comments (0)