旧東海道宿場巡り 後編
いよいよ旧東海道宿場巡りの後編です。昼食は由比の開花亭にて食事をしました。
こちらは桜えびの漁師料理で有名な沖上がり鍋。夜漁師たちが桜えび漁を終え、家に帰ってきてからご飯のおかずに食べるものなんだそうです。えびの旨みがだしとなり、豆腐にも桜えびの旨みが染み込んでいました。お酒のおつまみにもご飯にかけても楽しめる味です。昼食後、小池邸~あかりの博物館(大正8年の建築)~望嶽亭藤屋を訪ねました。
【興津】清見寺(奈良時代建立、五百羅漢、家康接木の臥龍梅、朝鮮通信使一行が何度も立ち寄った寺)~坐魚荘~井上馨旧邸跡(静岡市埋蔵文化センター)
興津は1300年前から関が設けられ、その立地が政府にとって重要な場所として位置づけられていました。明治時代になると財政各界の著名人の別荘地としても脚光を浴びた場所です。興津には鯛が有名で家康がここの地域を好んで食べたことで鯛が有名です。
清見寺:約1300年前、東北の蝦夷に備えた関所として清見関が設けられ、その関所の鎮護として仏堂が建立されたのがお寺の創建と伝えられています。徳川家康が幼年時代に教育を受けた「手習いの間」、家康公が接木したと言われる「臥龍梅」ほか、梵鐘、山門、紙本墨画達磨像など数多くの文化財があります。また、このお寺には朝鮮通信史や琉球使節が訪れるなど異文化交流の窓口でもありました。後に三葉葵の紋を許され、徳川家の帰依を受けていました。
【江尻】船宿末廣~甲州廻米置き場跡~梅陰禅寺(次郎長の菩提寺)~次郎長生家他、 江浄寺(家康長男の菩提寺、恋塚)、フェルケール博物館
江戸へ物資を運ぶ重要な港として活気溢れ、いまなお静岡県の重要港湾である清水港を支えるのが江尻です。
昔ながらの魚屋さんです。ここで興津の鯛の話をいただきました。
【丸子】丁子屋~駿府匠宿(竹細工、指物等伝統工芸品展示)~吐月峰柴屋寺
宿場には本陣や問屋場は残っていないものの、自然の風景や旅の雰囲気を楽しめます。また昔からたくさんの自然薯がとれ、江戸時代の鞠子宿には十数軒のとろろ汁屋が並んでいたといいます。安藤広重の浮世絵に描かれたモデルとされる「丁子屋」では、400年たった今でもおいしいとろろ汁をいただくことができます。
【宇津ノ屋峠】宇津ノ谷集落~お羽織屋(石川家)~慶龍寺(十団子)~弥勒橋(石部屋前)
宿場ではありませんが、丸子から続く道をたどり宇津ノ屋峠を訪ねました。もとは7世紀頃からの道であるといわれる「蔦の細道」を秀吉公が小田原攻めのために大軍が進行できるよう1590年に道を整備したもの。後に家康公が東海道としました。
お羽織屋:秀吉が小田原攻めの際、馬のわらじを取り替えるために寄った茶屋。当時の主人が縁起の悪い「4」という数字を避けてわらじを3足分だけ渡し勝利を祈願しました。見事勝利を挙げた秀吉は主人の忠誠をほめて羽織を与えたことに由来しています。のちの家康も訪れて茶碗を贈り、縁起の良い茶屋として参勤交代の大名なども立ち寄っていました。その当時の秀吉の羽織が今も残っていて語り部のお婆ちゃんが説明してくれましたが、かなりぼろぼろなうえ、みんなゲンをかつごうと触ったらしく手垢もつき放題。文化財になっていないので致し方ありませんが、ちょっと考え物でした。
十団子:近所の宇津ノ谷の集落の軒先ごとに見られる白く小さな数珠の束。これは魔よけとして古くから作られる「十団子」です。10粒一組の輪を9つ束ね、「九十九の難を除ける」の意味が込められているといわれます。
静岡市には6つの宿場が存在しています。府中を除いてひととおり回った感想としては、その当時の建造物などが今に伝わっていたり、江戸時代の宿場町としての賑わいを感じさせる町並みや徳川とかかわりのある食などが多くの発見がありました。東名高速道路や東海道新幹線そして静岡空港といった便利な交通網がある中で、昔ながらの街道は大切な地域資源として活用できると思います。静岡東海道ブランドなど地域同士の連携で新たな商品開発ができると感じました。
No comments yet.