もの研特派員報告「さようなら第四期の歌舞伎座」vol.2

両袖から解体=撮影:平成22年5月19日(水)

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さて歌舞伎座の解体工事は、着々と進んでいる様子です。
気になるので、又撮影に出掛けました。すでに建物の両端の下屋根から解体が行
われている様子で、その部分には青い工事用シ-トが掛けられていました。解体
工事の看板を見ると、9月30日迄かかると表記してありました。

歌舞伎座の家紋「鳳凰」の鬼瓦。
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歌舞伎座ファンの方はご存知と思いますが、そうです。歌舞伎座の家紋は「鳳凰」。古来たくさんある家紋の中で、想像上の動物が家紋になる事は極めて珍しいことです。
「鳳凰」は、中国の古い伝説の想像上の瑞鳥で、日本では飛鳥平安時代から家紋に
用いられてきました。最も代表的な建築は「宇治鳳凰堂」の屋根に取り付けられて
います。

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鶴紋と同様に「鳳凰の丸」・「立ち鳳凰」・「飛び鳳凰」の意匠があり、歌舞伎座は
「鳳凰の丸」が使われています。解体中の歌舞伎座の鬼瓦にも、良く見ると彫り込
まれていました。

★この歌舞伎座の特派員報告は、今後も工事の様子を撮影してお見せする予定です。

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もの研特派員報告「さようなら第四期の歌舞伎座」

撮影:平成22年5月15日(土)

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「いまだ外観そのままなり」
話題になっていた歌舞伎座の改修工事。国の登録文化財、なにより歌舞伎座ファンから多くの反対があり、一時は存続かと思われたのですが、ついに改修をする運びとなりました。将来の歌舞伎座を考えての苦渋の決断であったようです。

4月度の「さよなら公演」を以て、公演終了、5月より本格的な改修工事にかかりました。早速、東銀座にカメラを持って撮影に行きました。板塀は1階部分のみ、見応えある大屋根の部分はそのまま見えていました。施行は清水建設です。

「今のうちに、写真に記録しておきたい」と思うのは人情と見え、外国人客や歌舞伎座ファンの中高年の方々など多くの方が、盛んに撮影していました。
改修工事の予定は、全体で3年かかるという事ですが、5月中は内部の撤去工事、6月以降は、外装撤去となる予定なので見納めは5月中のようです。

簡単にこれまでの歌舞伎座の歴史をご紹介しましょう。
◆第一期 「洋風の歌舞伎座」 明治22年~明治44年
演劇運動の唱道者、福地源一郎等により建設されました。外観は洋風、内部は和風3階建て桧造り、客席数1824名、間口13間であり、堂々たる大劇場であった様子です。明治44年、建物の老朽化と帝劇の出現を受けて改築へ。

◆第二期は 「和風御殿風の歌舞伎座」 明治44年~大正10年
外観は純日本風の宮殿様式に大改築され、多いに盛況をしたようですが、惜しくも大正10年、漏電の火災にて焼失。

◆第三期 「関東大震災後の歌舞伎座」 大正13年~昭和20年
外観は奈良・桃山時代の豪華な宮殿風に。工事の途中、関東大震災にみまわれましたが、鉄筋コンクリ-トのため大きな損害はなく、震災後、耐震建築の象徴となりました。しかし、時代は第二次世界大戦と移り、昭和20年東京大空襲を受けて焼失、わずかに外郭のみが残りました。設計=東京美術学校教授、岡田信一郎。施行=大林組。

◆第四期 「戦災復興後の歌舞伎座」 昭和25年~平成22年
外観は、第三期の歌舞伎座を踏襲、外観は奈良・桃山時代の優雅な趣き、内部は近代的設備となりました。客席数2,000席・舞台間口15間。設計=東京芸大教授、吉田五十八。施行=清水建設。平成14年「登録有形文化財」に認定。

◆第五期 「新歌舞伎座」 平成25年完成予定
新しい歌舞伎座は、低層部には既存の建物と同様の日本風意匠の外観の劇場となり、後方に事務所用の高層ビルが建ち、組み合わされた複合建築物となる様子です。

歌舞伎座の特派員報告は、今後も工事の様子を撮影してお見せする予定です。

                               主任研究員 荒木隆一

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