撮影:平成22年5月15日(土)
「いまだ外観そのままなり」
話題になっていた歌舞伎座の改修工事。国の登録文化財、なにより歌舞伎座ファンから多くの反対があり、一時は存続かと思われたのですが、ついに改修をする運びとなりました。将来の歌舞伎座を考えての苦渋の決断であったようです。
4月度の「さよなら公演」を以て、公演終了、5月より本格的な改修工事にかかりました。早速、東銀座にカメラを持って撮影に行きました。板塀は1階部分のみ、見応えある大屋根の部分はそのまま見えていました。施行は清水建設です。
「今のうちに、写真に記録しておきたい」と思うのは人情と見え、外国人客や歌舞伎座ファンの中高年の方々など多くの方が、盛んに撮影していました。
改修工事の予定は、全体で3年かかるという事ですが、5月中は内部の撤去工事、6月以降は、外装撤去となる予定なので見納めは5月中のようです。
簡単にこれまでの歌舞伎座の歴史をご紹介しましょう。
◆第一期 「洋風の歌舞伎座」 明治22年~明治44年
演劇運動の唱道者、福地源一郎等により建設されました。外観は洋風、内部は和風3階建て桧造り、客席数1824名、間口13間であり、堂々たる大劇場であった様子です。明治44年、建物の老朽化と帝劇の出現を受けて改築へ。
◆第二期は 「和風御殿風の歌舞伎座」 明治44年~大正10年
外観は純日本風の宮殿様式に大改築され、多いに盛況をしたようですが、惜しくも大正10年、漏電の火災にて焼失。
◆第三期 「関東大震災後の歌舞伎座」 大正13年~昭和20年
外観は奈良・桃山時代の豪華な宮殿風に。工事の途中、関東大震災にみまわれましたが、鉄筋コンクリ-トのため大きな損害はなく、震災後、耐震建築の象徴となりました。しかし、時代は第二次世界大戦と移り、昭和20年東京大空襲を受けて焼失、わずかに外郭のみが残りました。設計=東京美術学校教授、岡田信一郎。施行=大林組。
◆第四期 「戦災復興後の歌舞伎座」 昭和25年~平成22年
外観は、第三期の歌舞伎座を踏襲、外観は奈良・桃山時代の優雅な趣き、内部は近代的設備となりました。客席数2,000席・舞台間口15間。設計=東京芸大教授、吉田五十八。施行=清水建設。平成14年「登録有形文化財」に認定。
◆第五期 「新歌舞伎座」 平成25年完成予定
新しい歌舞伎座は、低層部には既存の建物と同様の日本風意匠の外観の劇場となり、後方に事務所用の高層ビルが建ち、組み合わされた複合建築物となる様子です。
歌舞伎座の特派員報告は、今後も工事の様子を撮影してお見せする予定です。
主任研究員 荒木隆一