【特派員レポートVol.4】「型絵」に残す昭和・雪国の暮らし

先日、アートガーデンかわさきにて開催された第20回「美工展」にて創作型絵を出展しました。

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●作品の制作意図
いつもより帰りの遅い「かあちゃん」が心配になり、家の外の雪道に立った姉妹。綿入れのどてらを羽織り、スカ-フを巻き、もんぺや袴をはいている。無論、親のお古を直したもの。不安そうな表情の姉妹が、寒くつらい雪国の冬を感じさせる。

初めてご覧になるお客様からは「切り絵ですね」と言われますが、「切り絵」とはまた違います。「どこで習ったのですか?」ともたずねられますが、習ってもいません。何よりも型絵とは、全く私の長年の創作から生まれたものなのです。
ご覧いただいた切り絵協会のある先生がおっしゃることには、
「これは、切り絵ではない。切り絵とは必ず黒いラシャ紙を切って、後に白い紙を入れるのが決まりです」と。
型絵についての詳しくはもう少し後で説明いたしましょう。

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私が型絵に表現するのは、きまって昭和三十年代です。
この頃というのはまだ、戦争の傷跡を残しながらも、生活にわずかなゆとりの出てきた時代でもありました。しかし、北陸・東北は毎年の冬、大変な豪雪が続いていました。
昭和の時代は私たち団塊の世代にとって、故郷の子供時代や都会で働いてきた仕事などさまざまな思い出が凝縮された非常に思い入れの深い時代です。私は型絵の制作を通して雪国の暮らしぶりや風景、風俗を残したいという思いで創作を続けています。

型絵を制作するにあたり、私がこだわるのは用いる紙と古布。
今回の作品では、やわらかい水彩画用の厚紙を鋭角のカッタ-で切り抜いて造形しました。場合によっては、各地域の特産の味のある和紙を使うこともあります。

また、雰囲気を演出する古布について。これには紬や縮、絣、縮緬などの昔からの織物で、あえて昔の人が大切に着古した着物の布地を使っています。
切り抜いた部分から古布が見えるようにすることで、より当時の時代の味を見る人に感じていただけるよう願っています。

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郷土資料を調べることはあっても、お手本などは一切ありません。
自分の心にある雪国の故郷の懐かしさを元に表現するのみです。
展覧会で発表した際に会場でご覧いただいたお客様と、なつかしの昭和の時代、雪国の昔の暮らしぶりなどの話が聞けることも、私の大きな楽しみのひとつとなっています。

                           ものづくり研究所 特派員 荒木隆一

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【特派員レポートVol.3】郷土の味を守り続けて250年

各地の物産展を訪ねるのも特派員の仕事のひとつ。
今回は岐阜の物産展に行ったときのあるできごとを紹介しましょう。

それは大垣の槌谷本舗(つちやほんぽ)の柿ようかんを見たときのこと。
商品を見て思わずハッと釘付けになってしまいました。
というのも、そのパッケージデザインこそ私がまだ20代の頃に関わったものがそのままだったのですから。

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当時私はパッケ-ジのデザインスタジオに勤務していました。かの有名な木村勝氏のパッケ-ジングディレクションのもと、会社のロゴデザインから商品の竹の包み・栞・包装紙、そして宣伝のポスタ-・新聞広告までデザイン制作をしていたのです。

竹そのものの容器は日本の伝統包装で、江戸時代から続く優れた包装です。当時はこのデザイン制作にあたり、会社のスタッフが集まって大垣にある槌谷本舗に伺い、工場見学をさせていただいたものです。懐かしく思うのと同時に、今も孟宗竹の中に練り込んだ柿を流し込んで固めて、柿ようかんとして売っていることに深い感慨を覚えました。

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槌谷本舗は創業250年とその歴史は古く、宝暦五年(1755年)美濃の国大垣城下町に誕生したものです。由来は四代目の当主、右助が「堂上蜂屋柿」の濃い甘さに注目、
柿ようかんにすることを考案したとされています。
私たちが出会ってから数十年たった今でも、変わらず竹の容器と包装デザインを使われています。そしてなにより大切に郷土の味を守り、その味が次の世代へと受け継がれているのですから。

“ものづくりは人のつながり”であると考えさせられる、深く頭が下がるできごとでした。

                                        特派員 荒木隆一

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【特派員レポートVol.2】ロケット先生が甦らせる幕末浪漫。

東京・表参道(渋谷区)に全国から選びぬかれたグッドデザインの
伝統的工芸品のアンテナショップ「Rin」があります。
こちらでは定期的な企画展示が催されており、今回は「萩ガラス」を視察してきました。
「萩ガラス」は幕末の長州・萩の志士たちが愛用していたこともあり、
萩焼と並んで有名であり、人気も高い伝統工芸品です。

ショップに入るなり、おやじさんがフレンドリーにこう解説してくれました。
「萩はガラスは非常に固いガラスでね、普通のガラスの10倍の強度があるんです。
だから、ほとんどホテルやレストランなどでの業務用に使われているんですよ」

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なるほど、そんな事実があるとは勉強になりますね。
確かに繊細すぎても業務に差支えが起こるでしょうから。
伝統産業がこうして近代の産業を支えるということは実に素晴らしいことです。
そういえばおやじさん、萩ガラスとはどんな関係が…?
 
実は、萩ガラス工房社長という肩書きを持つかたわら、本業は日本特殊セラミックス(株)の社長であり、ロケット工学のスペシャリストでも有名な藤田洪太郎氏でした。
たいへん失礼いたしました。

藤田氏は学生時代からロケットの打ち上げ実験を試みるなど
宇宙と共に過ごしてきたような人生。
それにしてもロケットと萩ガラスの関係が不思議です。
たずねてみると高温でも溶けにくいセラミックを使った人工衛星のノズルを
研究設計するうちに、1500度の高温で焼く萩ガラスに出会い、深い関心を
持ったことから始まったそうです。

さて、冒頭でも萩ガラスが幕末の長州・萩の志士たちに
愛用されていたと述べましたが、今回の企画展示では
あの高杉晋作が愛用したグラスを再現した復刻品に出会いました。
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藤田氏は、長州の大元、萩の町にゆかりある歴史上の有名人が
使ったグラスを、ぜひ再現したいと思い立ち、実物が所蔵される
山口県立博物館に日参、約5年かけて交渉した思いのこめられた一品です。

いうまでもなく高杉晋作は、江戸末期に活躍した幕末の尊王倒幕志士。
奇兵隊などの諸隊を創設、長州藩を倒幕に方向付けた立役者として
彼なしに幕末を語ることはできません。

 

高杉晋作自画自賛の書

高杉晋作自画自賛の書

胸にどんな思いを秘め、志士たちとは何を語りながら飲み交わしたのでしょうか。
このグラスで冷酒やワインなど傾けながら、高杉晋作の往事の夢を
想像するのも一興です。

 ものづくり研究所 特派員 荒木隆一

Filed under: 特派員レポート — nakahashi 15:36