静岡本山茶 蔵出しの儀、口切の儀 後編
2009 年 10 月 25 日
そもそもお茶壷道中行列の由来とは。大御所として駿府城に住んだ徳川家康公が、駿府城内で開く茶会のために上質のお茶をお茶壺に詰めて、標高約1200メートルの井川大日峠で保管させた後、茶壷は籠に乗せられ駿府城に納めさせたといわれ、その故事をイベント化したものです。
二日目。まず出発式から始まります。またまたお茶姫三人衆の登場です。午前中に出発してから、市内の繁華街をねり歩き、一行は久能山東照宮を目指していきます。行列の人数は100人近くとなり、結構な大所帯に。二日目になると、大人たちが中心です。
籠に載せられた立派な茶壷。かなり重いようで、担いでいた地元の高校生たちは大変そうでした。
浅間(せんげん)神社、金座町を通過していきます。浅間神社は、家康公が元服を行った由緒ある神社で、以後徳川幕府の厚い尊崇を受けるようになりました。文化元年(1804年)からの60年余りにも及ぶ大造営も行われ、当時の宮大工がいまの静岡のものづくりの源流になっているといわれています。
途中、みこし祭りに合流。本山茶のPRが行われました。
再び一行は行列をなし、駿府公園へ。家康公の像の前に献上します。
そろそろお茶姫さまたちもお疲れモードになってきました。
いよいよ久能山東照宮です。本殿は普段は非公開。この儀式のために公開されました。「口切りの儀」は粛々とした雰囲気の中で行われ、煎茶道家元・横山大山氏によって茶壷が開封されました。
本山茶はいまもなお、徳川家総本家に献上されている由緒あるものです。しかしながら、観光資源になっていないのは実にもったいないことでもあります。歴史的な伝統行事を生かしながら、静岡のお茶事業の活性化を図るべきとものづくり研究所では考えます。
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