【建築遺産考Vol.2】近代化もまた京都の美なり。「南禅寺水路閣」
第二回目は、京都の風景に美しくとけこむ近代化遺産をご紹介します。
湯豆腐料理で知られ、多くの観光客が訪れる南禅寺。禅寺のなかで最も高い格式を持つ名刹の代表です。その南禅寺に訪れると、近代的なレンガ造りの建築物を目にします。
左右に長く連なるアーチから漂う異国情緒。間近で見ても遠めから眺めても姿美しく、
古代ローマの水道橋がモデルと聞けば誰しもがうなづけるものがあります。
これこそ京都の近代化の礎となった琵琶湖疏水事業の一環で建設された水路閣です。
当初は付近住民から景観を損なうという理由で反対を受けつつも、今ではすっかり由緒あるお寺と相容れる、趣あるたたずまいとなりました。
いまもなお見上げたそこには、琵琶湖の疎水(支流)が流れ続けています。
旧都のプライドをかけた一大事業
明治の幕開けとともに、首都は東京へ遷都。これに伴って京都は人口の三分の一を一挙に失い、産業の衰退という事態にまで陥りました。かつての都としての活力を失ったことへの危機感が募り、復興をかけて長年の課題でもあった琵琶湖から京都へ水を引く大事業が始まったのです。
幕末から明治にかけて近代化をめざしたこの時代、とりわけインフラ面の整備では、西欧の先進技術や知識を学ぶために「お雇い外国人」たちが主役でした。
そんな時代の流れの中、明治18年に着工した琵琶湖疎水は、設計監督に工部大学校(現東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎を起用。かつ日本人のみで設計、施工したという土木技術史上においてもきわめて価値ある事業とされています。
疎水事業そのものはたいへんな紆余曲折を伴うものでした。
まず計画の段階にて市の年間予算の十数倍という巨額の工事費に伴い、
国や府での助成ではまかないきれず、増税を行うことでの市民からの批判や、
あるいは近隣の県に対する補償問題も起こり、着手までに4年の歳月が費やされました。
さらに大規模な事業でありながら、ほとんどを人力に頼る工事は多く難局を迎えます。
ダイナマイトとセメント以外の大半の資材は自給自足、夜に技術者を養成、昼に実践するという現代では想像のつかない日々。とりわけ難関となったのは当時では国内最長の2kmにわたる第一トンネルの工事でした。
成功を疑われつつ、わが国ではじめて竪坑方式の工法を採用。山の上から垂直に穴を掘ってそこから両側に向かって工事を進めることで、開通にこぎつけました。
着工前後に何度も見直された疎水の計画、あるいは利用方法さえも着工後に変更されながら、明治18年に起工し、伏見までの第一疎水が竣工したのは明治27年のことです。
疎水の開通から始まった日本初
大事業のそもそもの目的は、疏水の水力で新しい工場を興し、大阪湾と琵琶湖間の通船によって物資の往来を増強させるほか、灌漑用水や防火用水といったものが主でした。しかしさまざまな壁にぶつかり、乗り越えた疎水事業は当初の予定からその役割は拡大、発展していったのです。
たとえば蹴上から九条山にかけての582m、高低差36mという急勾配に対し、登場したのは船を台車にのせてレールを上下させるというインクライン。琵琶湖と淀川が結ばれて京都の産業発展に大いに貢献しました。
また、疎水の利用方法について米国へ視察に行った田邉朔郎ほかが、工事の途中で水力発電の実用化への踏み切ったことも産業史にとって大きな決断となりました。わが国で最初の商業用水力発電所となった蹴上発電所の登場は、日本初の路面電車となる「京都電気鉄道 伏見線」の開通へと発展していきます。
やがて電力需要の高まり、水道用水確保の必要に迫られて明治41年には第二疎水の工事が始まりました。同時期には蹴上に浄水場も建設され、今日の上水道の水源に続いています。疎水事業に関わる、水路閣、インクライン、竪坑をはじめ、多くの建築物が近代化遺産として国の史跡に指定されました。まさにその歴史的価値を表しているというものです。
もうひとつの歴史に思いをはせて
京都にはこうして寺社だけでない、誇るべき建築物があります。
水運の消滅にともないインクラインは廃止されましたが、蹴上で一部形態保存されています。インクライン跡は自由に歩けるので、その高低差を体感してみるのも面白いかもしれません。一方、発電所のように改修されつつも、重みある歴史のうえに立ち、現役で活躍する近代化遺産は貴重なものといえるでしょう。
なお疎水の維持管理は、京都市上下水道局のもとに停水時期を設けての補修等が行われています。また、疎水の歩みを知る施設として100周年記念の際には南禅寺近くに疎水記念館が設立されました。
京都が持つもうひとつの歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
歴史的風景になじんだ疎水は、南禅寺ほか銀閣寺わきの哲学の道でも見られます。
このシリーズでは指定文化財を問わず、近代を中心に後世に残すべき日本の建築物の歴史と価値を紹介しながら、保護活動のあり方、再生への道すじを探っていきます。