ものけん展示会情報 第69回東京インタ-ナショナル・ギフトショ-春2010

2月2日(火)~5日(金)東京ビッグサイト
主催=(株)ビジネスガイド社事業部ギフト・ショ-事務局

日本最大のパ-ソナルギフトと生活雑貨の国際見本市、
「第69回東京インタ-ナショナル・ギフトショ-春2010」が開催されました。
キャッチフレ-ズは「日本で出会おう、景気浮揚のスグレモノ」。
今回の出展社数は2,200社、「ものづくり研究所」として、
この膨大な展示商品の中から何を見つけてくるか、期待が膨らみます。

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最初に関心をもった特集ブ-スは、「NIPPON BRAND」です。
「日本」の「こころ」を形に…がコンセプトです。
従来の伝統的な技術や日本的な要素だけでなく、現代の生活様式に
あったような商品が集まる「伝統とModernの日本ブランド」を目指しています。

新潟県出身の私としては、やはり「新潟」のブ-スが気になります。
主力は「燕・三条」の刃物。有名な爪切りの「SUWADA」をはじめ、
黒で統一されたディスプレイに特産の刃物がここぞとばかり並んでいました。
「燕・三条」の製品は、昔から欧米にも盛んに輸出しているので、
国際的なデザインのレベルが高いと思いました。

一方、異色なディスプレイで、人目を引いたのは、兵庫県三木市の「金物鷲」のオブジェ。
今回のギフトショーのディスプレイコンテストでも、審査員特別賞を受賞しましたが、
三木市特産の大工道具のノコギリや包丁などを、何千点も束ねたという姿は圧巻の一言です。

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ちなみに使用された金物は、ノコギリ530本・包丁815本等、全体では3,329点。
その重量は1.5トン、翼の長さは5メ-トル、高さは3.2メ-トルにも及びます。
鋼鉄の枠にワラを巻き付けて、熟練の職人さんが一本一本刃物を突き刺して組み立てるそうです。

「金物鷲」が作られたきっかけは、昭和7年、三木市が大水害に見舞われたことでした。
翌年、消沈した市民の気運を盛り上げようと、さまざまなアイデアを募集をした際に
「金物鷲」が提案されたそうです。昭和27年「三木金物見本市」で昭和8年の原型を基に、当時のお金で約150万円もかけて、初代の「金物鷲」が制作されました。全国から来た金物業界の人々をうならせたそうです。

その後2回程改良されて、今は三代目となりました。昭和47年には、欧米にまで雄志を拡げ、アメリカでは、「ニュ-ヨ-ク・ナショナル・ハ-ドウエアショ-」、ドイツでは、「ケルン国際ハ-ドウエアメッセ」にて披露されました。当時、昭和天皇も御観覧なされたという話です。

実に立派な作品です。「金物なら、他に負けないぞ!」という三木市の金物業界の心意気が溢れています。
大きな展示会場の中で、インパクトのあるシンボルとしてのみならず、
今後の「三木市の町起こし」としても、大切な役割を担うシンボルになるものだと深く感銘を受けました。

                                主任研究員 荒木隆一

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ものけん展示会情報「福井県 越前・若狭の物産と観光展」

1月末、京王百貨店新宿店で「福井県 越前・若狭の物産と観光展」が開催されました。

食のコーナーでも注目すべきは水ようかん。「福井ケンミンは、真冬コタツで水ようかんをたべる」と、TVの「秘密のケンミンショ-」で紹介されて以来、一躍話題を集めた人気者。
会場内でも番組にも紹介された「江川の水ようかん」はとりわけ賑わっていました。
お値段は一箱630円。小豆入りは680円で、2箱3箱と飛ぶように売れています。

私も食べてみましたが、やっぱり真夏に冷やして食べるあの「水ようかん」そのもの。
シャキッとした歯触りがなんとも心地良く、ほどよい甘み…
しかし、冬だからと味をかえているというワケでもないのに、なぜ食べるんでしょうか?

大正から昭和初期にかけて、丁稚(でっち)奉公する丁稚さんは里帰りの折りに、
土産として自分達で「水ようかん」を作って持ち帰っていました。
そして、それを家族みんなで集まって食べるという習慣が、根付いていったようです。

現在では、11月から3月頃まで県内の各和菓子屋さんで売り出され、お歳暮や正月など冬の贈り物にもなっているそうです。先の「江川」では県外のお客様が夏に買いに来られても、冬の期間限定品ということでお断りされるそうです。正月に里帰りした時の暖かい家族の甘い味。それが福井の水ようかんなんですね。
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越前はまた焼物でも知られています。
そこで少し変わった面白いものをみつけました。名前は「一輪挿しのできる箸置き」。

ちいさなミニの花瓶をつぶしたような形をしており、一見すると陶芸家の思いつきのアイデア作品に見えます。はじめて見た日には買わなかったのですが、どうも寝てからもあの箸置きが気になってしかたがありません。

翌日また売場をたずねて購入し、作家の方にお話を伺いました。
この作品は、いぶし焼きで造ったもので、「こんな遊び心のある箸置きがあったらいいな」と思って楽しんで造られたそうです。小さな花瓶をつぶせばそこに箸先を乗せられ、しかも花瓶の口には一輪の花を飾れる。そのアイデアに脱帽しました。作家の方いわく、「花だけでなく葉っぱを挿してもいいですよ」と。

これまでに、花器や箸置きは数限りなく見てきましたが、こんな可愛いアイデアの商品は見たことがありません。家族の祝い事やホ-ムパ-ティ、お友達を招待した食卓にこれを飾れば、きっと素敵な食卓になることでしょう。

今は小さな作品ですが、これがもっと大きな陶芸作品になって、料理を盛るお皿や器の脇に、一輪挿しを飾る花瓶が付いていたら、より豊かな食卓の演出が生まれます。今回は小さな箸置きですが、私にはこれが食卓の豊かなイメ-ジを、無限にふくらませてくれる「魯山人の箸置き」に見えました。

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【特派員レポートVol11】「朝日酒造」訪問記

私は新潟県生まれでありながら、お酒はまったくの下戸。
それでも新潟県が誇る銘酒「久保田」は、サッパリして呑みやすく口に合います。
今回は、かねてより訪ねたかった久保田の蔵元「朝日酒造」の訪問記です。

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「朝日酒造」は新潟県の来迎寺町にあり、信越線来迎寺駅から歩いて15分ほど。
地元では今もなお昔の屋号「朝日山」で通っています。

酒蔵見学は基本的に、酒関連の団体が特別許可を得ないとできません。
そのため今回は工場前にある、昔の民家風の酒蔵を利用した「米と酒の道具館」にお邪魔することに。一階は蔵人の酒造り唄が流れる朝日酒造の売店で、二階に上ると朝日酒造の歴史を語るラベルを初め、大徳利や酒器セットなど、さまざまな酒の道具が所狭しと並んでいました。

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目をひいたのは、一斗瓶と書かれた大きな日本酒の瓶。一升瓶の横綱といったところでしょうか。昔の大宴会では一斗瓶が席に並んでいたのだそう。一升瓶の10本分の量ですから、とんでもない量です。
今では「しずく酒大吟醸斗瓶囲い」と称する製法の大吟醸を見ることができます。(この製法では、大吟醸の最も美味しい原酒だけを木綿の大袋に入れて吊るし、自然にしたたり落ちるしずく酒をポットンポットンと一斗瓶に詰めていくもの。さらに約9ヶ月間蔵の中で低温でゆっくり眠らせてから、初めて世に出すという極めつけの逸品)

朝日酒造の歴史は、天保元年(1830年)の創業に始まります。
木曾義仲の家来が、亡き主の異名である「朝日将軍」にちなんで、この土地を朝日と命名。酒造の裏山には「朝日神社」が祀られ、この山を「朝日山」と呼んでおり、屋号はここから取られました。仕込み水には、神社の境内に湧く「宝水」を用いています。

通でなくてもその名が知られる銘酒「久保田」を初めて世に送り出したのは昭和60年。商標の「久保田」とは、創業時の初代の屋号からいただいた名前で、「初心に立ち返る決意」を表したものだそう。

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その朝日酒造も、平成16年10月23日に起きた中越大地震では大きな被害を受けました。ここは震源地の山古志からわずか10キロしかはなれておらず、出荷待ちの「久保田」「越州」「朝日山」など山積みの酒瓶約1万5千本以上が一瞬にして割れて床に散乱。貯蔵タンクも土台がはずれてほぼ全滅の状態と、1年で最も需要の大きい時期に、創業以来の大危機を迎えてしまったのです。

それでも問題のない商品も一部にありました。しかし、「お客様への信頼を大切にしたい思い」ですべてを廃棄処分する決断にいたったのです。「ここは力を合わせて乗り切らねばならない」と従業員が一丸となって復旧作業に取り組みました。その甲斐あって、当初の計画より一週間も早く一部出荷が出来る体制となり、11月10日にはトラック18台分の商品の全国発送を実現。12月にはほぼ正常に戻すことができたそうです。

見学後は、お隣にある「そば処越州」で、地元産の美味しい手打ち蕎麦をいただきました。震災時の被害は倉庫に限らず、この「米と酒の道具館」も大変な被害を受けたはず。
現在では何も無かったかのように整然と展示され、当たり前のようにお店があっても、「朝日酒造」の皆様方の苦労と努力は並々ならぬものだったでは…蕎麦をいただきながら、ふと考えさせられました。

ものづくり研究所 主任研究員 荒木隆一

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