日本の味・旬の味。《7月・魚編-2》
2010 年 7 月 20 日
ハモは梅雨が明けた頃から脂が乗ると前回述べましたが、
京都の名物、祇園祭ではその旬の美味しいハモを食す風習があります。
「鱧祭」と言われるほど欠かせない存在です。
しかしハモの水揚げ量を考えると、京都ではそれほど獲れるものではありません。
なぜハモを食べる文化が発達したのでしょうか。
その理由のひとつに輸送技術が発達していなかった時代、
特に夏は暑い京都に鮮度の良い魚を届けること自体が困難でした。
その点、ハモは生命力が非常に強く、生きたまま輸送できた貴重な魚だったのです。
また、京都へ絹糸を供給していた養蚕が盛んな大分県中津市の行商人が、
京都へ食文化を伝えたという説もあります。中津は骨切り技術の発祥地。
地方と地方が商人によって結ばれた時代、
こうして商人が文化を伝える役割を持っていました。
なお「京都のハモは山でとれる」との笑い話もあります。
行商が京都までハモを運んでくる途中、峠で一服している隙に逃げ出すハモが続出。
その逃げたハモを山の人々が土にまみれた状態で見つけたため、
「京都の山にはハモがいる」 と噂されるようになったんだとか。
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